大学文系学部を目指す意味

大学文系学部を目指す意味

こんばんは。楓です

今は多くの高校で面談が実施される時期ですね。

進路が決まった人は、今後の学校生活を

進路が決まってない人は、今後の就活なり勉強なりを

留年が確定してしまった人は、絶望を

担任と話し合う時期だと思います。

楓はもう大学進学が確定しているので、いろいろと自由を謳歌しているところです。

それはさておき、私の文系の友達が進路で親と対立してしまったらしいのですね。

良くある話です。

「国公立文学部に行っても遊ぶだけ。そもそも行く必要なんてない」

「何も考えてない」

「それだったら、国立なんか行く必要はない。適当な私立の短大でいい」

親はこう言うそうです。

一方で、担任はその子のことをよく見ているのでフォローを入れるし、成績もいいので受かる実力はあるとみているのです。

私が話を聞く限りだと、親御さんが文学部の必要性自体ないと考えているらしいということなので、ちょっとだけ文学部の価値を考えていこうと思います。

楓の独自調査なので現実との乖離が有るかもしれません。

※なお楓は理系です。

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文学部の価値

就職予備校としての価値

文学部を出た人間が一般企業に就職した場合、学んだことの多くは役に立たないでしょう。

文学部での勉強は主に三とおりです。

  1. 社会学。
  2. 考古学、史学、文学。
  3. 心理・教育学。

会社で必要な技能は、パソコンの使い方、コピー機の使い方、接客の仕方、売り込みの仕方、上司の機嫌の取り方、たらいまわしのやり方、仕事を回避する方法、etc…

一個も入っていません。(後半はただのジョークです)

文学部は人間という存在を研究しているためビジネスでの専門的知識や会社での営業戦略が身につくというわけではないのです。

では一方で、経済学部で経済効果を勉強したら経営者になれるかというとそうではありません。

法学部も専門職に就かず一般企業に就職すれば意味が無い。

教育学部を出て教師にならず就職した人はまず役立っていません。

この時点で、就職での役に立たなさを理由に文学部を否定すること自体が間違っています。

他の学部でも全く同じです。

大学全入時代の流れを批判するべきです。

学問の場としての価値

学問の場として見た場合。

学問自体は必要なさそうに見えても常に必要です。

社会が回る以上、人は学ぶことを避けられません。

インターネットが普及してもこの世全ての知識を保管したサイトなんてものは未だに現れない(英語版Wikipediaですら、ユーモアや個人の考えは記録されていません)ように、人は常に学び続けることになります。

結局、社会という雲の中の人間が分散して知識を蓄えているのです。

「今、ネットとか本読めば、いくらでも教養を身につけられる」

なんてことを言う人がいるらしいのですが、それは違いますね。

本当にそうなら、義務教育自体必要ない。

人と交わることでしか学べない知識もあるということを完全に度外視した発言です。

そもそもネットとか本にそういった知識を書いた人は何処で知識を手に入れたのですか?

そして本当にそうなら、何故今も新しい本の出版やネットの書き込みがあるのですか?

結局、価値あるものを見れていない発言です。

結論

文学部というのは、学びの場としての存在儀を持ちます。

就職しか見ない人間は無価値でしょうが、それはどの学部でも同じ。

ある人は云いました。

「学ぶことこそ最大の贅沢だ」

学びに金をかける気のない人は永遠に理解しなくていいです。

でも、学ぶために文学部に行くことは意味がある。そう思いますよ。

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